修心会について
武田西郷流合気之術
詰合の技法と深く繋がる古流体術です。一般には、合気柔術、合気道といったほうがわかりやすいかも知れません。受身は、刀を帯びた状態でもできるように稽古します。
以下、津村先生が以前書かれた、武田西郷流合気之術の説明文をご紹介します。
わたしの曾祖父、大東社統主・西郷、後、武田範之(定政・覚市)は、松前家より武田の氏を贈られ、蝦夷地より樺太に入り、当時、現地人及び日本人を迫害した帝政ロシア・コザック軍団を、樺太より退却させた。曾祖父はこのときの体験から武術の効用を悟り、同志と共に、その修練を怠らなかった。
祖父、西郷四郎(津村定九郎)は、家伝の揚心流、体捨流、霞流の他、曾祖父の元に参加した天狗党残兵の方々、水戸東武館等旧幕藩体制下の剣客、武術家の厳しい指導を受けた。特に、礼式小笠原弓馬術に礼法・心法を求め、修心の道を開いた。また、大陸武術の研究も進んで行い、師の礼をもって接した武田(洪)忠一師より、合気の秘術を伝授された。これは後に植芝師等に伝えられ、現在は、純日本化して広く修行されている。尚、志田四郎(別人・西郷四郎)は、祖父と親交が深く、車夫として当家(長崎県諫早)に同住されていた。
父、定雄(博)は、幼少より祖父門下生の指導を受け、後、浅草等に滞在中、徳三宝師の指示により、武田惣角※門に参加、修行し、桜田桜麿呂師より、特別の指導を受けた。九州における西郷流、武田流は、祖父の系統に属するものである。
※武田惣角、植芝師・両氏の間は険悪な関係となり、津村博・植芝清(盛博)等の果し合い(真剣勝負)が計画されるまでに至った。この計画は、津村恵治の祖母(千恵)、頭山満氏の介入により中止された。
夢想神伝居合林崎重信流詰合
日本古武道振興会流儀解説書より
奥州の人林崎甚助重信は、明神に参籠し、夢想に神より教えを伝えられ、抜打の一刀をもって勝を得る刀法を確立した。田宮平兵衛・長野無楽斎を経て、九代目林六太夫守政より土佐藩の御流儀となった。津村恵治の曾祖父、大東社統主、西郷(後・武田範之定政)は、武術修練を奨励し、同志と共に錬磨を怠らなかった。特に祖父、西郷四郎(津村定九郎)は、武道全般に秀で、居合武術は当家(長崎県諫早)に同住された同志山川久蔵幸雅(旧土佐藩士)を中心に、多数の剣客、居合達人等の指導を受け鍛錬に励んだ(後・細川義昌・大江正路の各師も参加された)。幾多の実戦と真剣勝負の過程で、人々の無常、儚さを覚悟、神明祈願して自ら小笠原弓馬礼式に参入し、その礼法・心法を居合武道に取り入れ、修心(身)の道を開いた。同志、中山源之丞(大東社書記)の一子、中山博道は後、細川義昌師等に師事し、夢想神伝流として剣道と共に奨励し、居合術の交流につとめ全国に普及した。
初伝(正座技)。
中伝(立膝技)。
奥伝(奥居合重信流)。
太刀討の位。
詰合(重信流)。
大小詰合(重信流)。
小太刀詰合(重信流)。
口伝-軍馬(騎馬太刀)。
重信流詰合は仕方・相方、相対して詰合、抜打に切合い、勝負を決する形試合であり、大東社武術の修練の一環として曽祖父、祖父の下で旧土佐藩士山川幸雄、細川義昌両師を中心に修行され伝承されたものである。尚、津村恵治は令和元年に剣道有効賞を授与されている。
伝系